健幸美・整体院|整体、自力整体、頭痛、肩こり、腰痛、性の悩み|シン・テアテ・セイタイ(別名・トップリラクオール)

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自力整体(シン・テアテ・セイタイ)で症状を改善した方々の体験談

苦痛からの解放 ・ 悩みからの脱出 ・ 不安から安心に変わった ・・・
私の体験談

健幸美・整体院で、シン・テアテ・セイタイ(別名・トップ・リラクオール)
〔理学的・最先端の手当整体技法〕の
施術を受けた方の真実のお声です。
万病に効果、いろいろな症状の方が健幸になりました。

お一人で悩まずに是非一度ご相談下さい。
相談は無料です。

相談する『云う(勇)氣』が健康になる秘訣!
一日の遅れは、千日の損失です。今日より早い日はないのです。


「船井幸雄先生いわく、「佐藤文治先生の腕はすばらしいです」と。」

里帰り「7月1日開業」のご挨拶。
平成27年6月28日  


謹啓、カツオ漁で活氣づく季節を迎えられた氣仙沼市民の皆様へ、「氣仙沼の太陽」こと佐藤文治が、 氣仙沼を「世界一の健・幸・美・郷」にすることを決意し、このたび22年ぶりの里帰りと開業をお報せする次第です。  その私は、市長選で「日本一の健康都市」にするという公約を掲げ、平成元年と5年、特に13年は三度目の正直を目指したが、落選し果たせなかったからです。  この間、私は公約實現のため仙台と東京に移転し、臨床研究に励みました。  その大願は、本物の技術や商品などの見極め人・船井幸雄先生にも認めて戴き、著者「人間塾」等で紹介して戴きました。

諦めていませんか?!
★「原因不明」「難病」「後遺症」等で悩み苦しんでいる方達にも朗報です。 ◎未だに不治の病と現代医学が認めている「筋ジストロフィー」のみならず「リュウマチ」や「各種肝炎」等まで、 手遅れでなければ健康改善させることの出来る「シン・テアテ・セイタイ」の開発に成功しました。  その効果の程は「日本一」より「世界一」だと確信できるので、一度ご来院戴ければお解りになると思います

謹白  



龍生堂は応援しています

浅田真央選手」 も証明した、 「シン・テアテ・セイタイ」療法は、『健・幸・美・革命』の「幕開け」です。

浅田真央選手」が「ソチ五輪」出発まで1ヶ月を切った段階の症状は、2014年1月11日付け「中日新聞」(直下記事欄)からも判るように、「佐藤信夫コ ーチ」も成り行き次第だとお手上げ状態でした。

真央 回復優先の調整

ところで「浅田真央選手」の持病となっている腰痛の酷さは、「浅田真央選手」が「ソチ五輪」を約2ヶ月後に控えながら、腰痛の悪化が原因で出場さえも危ぶまれていたのを、テレビで知った時の映像を幸いにも録画していました。
そのお陰で、中学2年の頃から施術を受けていた専属のトレーナーが、同じ名古屋に住む「龍生堂(リュウセイドウ)」(前段上の資料参照)の院長先生であることと、 その映像には「龍生堂」の電話番号が写っていたのです。
ところが、実はその1年ほど前に「浅田真央選手」が、従姉妹さんから紹介されたといって、東京の当院に電話で重度の腰痛でも治せますか?との問い合わせだけに終わったままでしたが、何れ必ずお客さんとして来てくれると信じて心待ちにして居たのです。

そんな当院の願いが叶うと考え、「浅田選手」の腰痛を直せる確信があった私は、 「仙台」から「名古屋」に出向き「龍生堂」の院長先生にお願いし、「浅田選手」を紹介して戴いたお陰で、平成26年1月10日に「浅田選手」が「龍生堂」に来てくれたのです。
そこで、最初に約2時間「シン・テアテ・セイタイ」で筋肉を柔らかにした直後に、「健幸クルクル回し」の「救(急)所矯正」で、致命的な腰痛を治めることが出来たのですが、立ち会ったお父さんと「龍生堂」の院長先生が、さぞかし胸を撫で下ろしたと想います。

しかも、その翌日から普通に練習できたのが不思議なようでしたが、更に確実に腰痛を直すために連日整体を、「龍生堂」で2時間以上受けて戴いた四回目には、自宅マンションに招かれて整体をしながらも、5回目の整体にお伺いした所に女性マネージャーが居て、 すでに「浅田選手」の腰痛が治ったと勘違いしていたようでした。
その証として、その日を含めて整体を打ち切りたいと、「浅田選手」とお父さんまでが口を揃えて言うので、「金メダリスト」を目指すには残された約1ヶ月は、毎日整体を続ける必要があると伝えても、先日までの致命的な腰痛の酷さを考えると、「ソチ五輪」出場を諦めていたのかも知れません。

それ以外の理由として考えられるのは、「浅田選手」の整体中に誰にも簡単に覚えられる手技なので、解説しながら直伝したので連盟のトレーナーに教えて受けたか、又は割安になる「会員制の高額契約金」に不信を抱いたのかは知りませんが、この切羽話まった段 階で整体を断る心境が分からないまま、私は虚しくも引き下がらざるを得なかったのです。
そんな経緯の中でも、「浅田選手」が「ソチ五輪」で「SP16位」の最悪から、フリーで自己最高の点数を記録して『6位』に入賞し、『記録より記憶』に残る『奇跡(キセキ)』を起したので、国内外から「金メダリスト」も霞むような拍手喝采を受けながら、胸を張って帰国できたことは不幸中の幸いだと想いました。

その「奇跡的現象」を、僅か2時間の連続整体4回で「ソチ五輪」に出場させた、私に授かった「シン・テアテ・セイタイ」療法が「本物」であることは、「現代医学」や「民間療法」等が手を出さない中で、ダメ元で臨んだ私は影の功労者だと想っています。
そこで、言葉に「言魂」(ことだま)が宿っているのと同様に、数にも「数魂」(かずたま)という、「霊力」が宿っていると考えられるからですが、「SP」で出した"55・51"の"55(ゴゴ)"を、「後後(アトアト)」又は「後後(ノチノチ)」と読み換えることができます。

更に、"51"の「51(コイ)」の意味は「来い」に通じていると想うので、両者を続けて読めば"55・51"は「55・51(アトアトにコイ)」、又は「55・51(ノチノチにコイ)」という意味 になると想います。
その一方で翌日の「フリー」で出した、"142・71(イシニナイ)"を[イシニ・ナイ=意思に無い」と読めば、勝ちを「意識しない」で「無心」になるのが大切だと、「荒川静香さん」と「紀平梨花選手」が、自分の体験を通して云っていたことからも、「浅田選手」が自身最高の 点数を出せたのが不思議(フシギ)なのです。
そこには、「天知る・地知る・我知る・子知る」という「四知(シチ)」の諺どおり、『』は次項に示すとおり、「浅田選手」が「平昌五輪」を目指す大事な時期に、私が「慢性硬膜下血腫(マンセイコウマクカケッシュ)」 に倒れ、その「後遺症(コウイショウ)」を直すのに約3年もかかるので、私が「整体師」の役目を果たせないのは、お見通しであったからだと想います。
その暗示として「ソチ五輪」の次は「平昌五輪」ではなく、更に次の「北京五輪」のことを意味していると考えられるのです。

従って、「浅田選手」が"SP55・51"という不本意な成績に終ったのは、持病の「腰痛」が原因では無く、「心理的」な「不安」が最大の要因であったことの証になるので、「浅田選手」の「金メダリスト誕生」は、「北京五輪」までお預けになったと考えています。
そう断言できるのも、現に「ソチ五輪」後に引退をした「高橋大輔選手」が、平成30年10月から現役復活を実現しているし、ロシアの「プルシェンコ選手」も「ソチ五輪」で引退しても、その後に一時復活したという例も含め、少なからずあったと想うからです。
従って、現在「浅田選手」が自ら主宰する「サンクススケート」で、「フィギュアスケート魂」が蘇れば、「浅田選手」の現役復活の可能性はあると確信しています。


究極!?『臨床研究』の『集大成』は、
自分の「病気体験」が「実験台」でした。


整体師の私が「慢性硬膜下血腫(マンセイコウマクカケッシュ)」に倒れたのは、平成27年10月28日ですが、その前兆として5日前頃から右足に力が入らなくなり、トイレに行く僅か5〜6mでも2〜3回も転んで、身体に衝撃を与えていたのです。
それが、高齢の私にとって「背骨(脊椎(セキツイ))にズレ歪み」を招くと、それがあらゆる病気を引き起こす基なので、どんな症状に見舞われても不思議ではないと想っていました。
かと言って、難病なども含め殆どの患者さんを健康回復させて来たので、病院に行って診察や検査を受けるという考えはなく、ただ安易(アンイ)な考えというよりも漠然(バクゼン)とした意識の中で、寝て居れば直るという確信もないまま一人暮らしの生活では、この間に三度だけの食事しか出来ませんでした。
そんな養生にも付かない状態で寝ていた5日目に、意識朦朧(モウロウ)となっていた所に幸いにも友人が来て、従兄弟を呼んでくれたお陰で救急車で運ばれ一命を取り留(ト)めたのです。
そこには、整体師の宿命として避(サ)けて通れないことは、自分以外の人なら殆どの難病も含めて整体で直せても、自分で自分の「背骨(脊椎)矯正」が出来ないので仕方(シカタ)ないのです。

そんな想いが頭にあった私の体が現実味を帯びてきたのが、平成17年頃から長年の過労の稼み重ねが基で、右手の「人差し指と中指」の先端(センタン)がヒビレて、Yシャツの上のボタンを掛けるのに困った時から、休養が必要だと想っても仕事を休めなかったのです。
その頃は既(スデ)に、「船井幸雄会長」に当院の療法を「本物」と認めて戴いていたので、「船井会長」の整体をさせて戴きながら実感したのは、身体中の筋肉が異常に硬くて「背骨(脊 椎)矯正」をしても、確実な矯正が出来ずに療法効果に満足できなかったのです。

そんな整体の限界に悩んでいた私の願いが叶ったのは、整体の弱点を解決する手技の開発を追及していた甲斐(カイ)あって、全身の筋肉を柔らかに出来る新たな療法として、「無宗教」の私ですが子供の頃に身に付いた習慣(シュウカン)で、『神棚(カミダナ)』に向かって両手を合わせて拝(オガ)んでいた時の、平成19年3月3日『ひな祭り』の日に閃きがあったのです。
それは、『両手の当て方次第』で全身の筋肉を柔らかに出来る、名付けて『玉王(ギョクオウ)の手当』と「(オウ)の手当」の暗示でも信じて、本格的に全身の筋肉を柔らかにする手技の開発をするため、平成19年5月の連休中に整体院の縮小移転を実行して、芝浦で本氣になって「臨 床研究」を始めたのです。

それ以来、自分と患者さんを実験台にして「臨床研究」を重ねる中で、「両手の当て方次第」で筋肉を柔らかに出来る、「手当」の有効性を確(タシカ)めながら徐々(ジョジョ)に手技の数を増やせたお陰で、患者さんの直りが良くなって来たと同時に、それまで困っていた自分の右手指二本のシビレが無くなり、Yシャツのボタンの掛け外しも楽になったのです。
その療法効果は、『傍楽手技(ハタラクシュギ)』と『自楽手技(ジラクシュギ)』の違いのとおり、傍の人なら全身に手を当てられるので殆(ホトン)どの症状を直せますが、自分の場合は仰向(アオム)けに寝た状態では、背中や腰から下は手が届かないので、誰かの手を借りなければ直らないように、人間の身体は仕組まれていることを改めて教えられました。

しかも、その「臨床研究」は2〜3年で終るという考えは甘く、その「臨床成果」を得るのに約8年間も要しましたが、そのお陰で氣仙沼に移転開業することが出来たのです。
しかしながら、患者さんの症状の変化を基に頭で考えた『臨床成果」では、どの筋肉がどのような誤作動を起しているのかは、頭から両脚先(リョウアシサキ)までのあらゆる筋肉の「触診(ショクシン)確認」が出来ないので、患者さんと整体師がお互いに伝え合えない限界があることも知りました。
ところが、それでも『臨床研究』中に授かった『臨床成果』でも、前述したように「浅田選手」の腰痛を直せたし、私が患(ワズラ)った「慢性硬膜下血腫」は、「手術」のお陰で一命を取り留(ト)め有難(アリガタ)かったのですが、それ以後は「医薬療法」の「副作用」に悩まされました。 そんな対処療法に疑問を持っていた私が意を決っして、自分の誕生日の12月12日からは「医薬療法」を止めて戴いたお陰と、「自楽手技」の効果によって18日間で好転(コウテン)させ大晦日(オオミソカ)に退院できたのです。

その結果を証明してくれたのが、下記別紙が示すとおり「退院証明書」では、入院期間が「65日」で済んだことが分かるし、「診療情報提供書(紹介状)」の中には、「本人の強い希望により内服はしておりません」と書いてあるとおり、「医薬療法」の「副作用」から逃れることが出来たのです。
更に、「介護保険・要介護認定・要支援認定結果通知書」では、当時73歳の私が「要介護4」と認定されたことは、寝た切り老人になっても不思議ではなかったと想います。
ところが、自分に授かった「自楽手技」で毎日5〜8時間をかけ、作業療法指導師(サギョウリョウホウシドウシ)の下(モト)で「リハビリ歩行訓練」をしたお陰で、短期間に健康体に近付けることが出来たのです。

それは、「自楽手技」を信じ切って自己整体したお蔭だと想いますが、大晦日に望みが叶って無事に仙台の自宅マンションに戻れたのですが、部屋が冷え切っていた上に食料の買出しと食事づくりの他に、整体院を昼んで運んだ引越し荷物が、所狭(トコロセマ)しと重なり合って いたのを片付けるのに、除夜の鐘(ジョヤのカネ)を聞きながら動き続けたので体力を消耗(ショウモウ)したようです。
そこで、上記ような無理な行動が祟(タタ)ったからだと想いますが、元旦の3時頃に寝て起きたら、嘘(ウソ)を言えば両脚が倍位太(バイクライフト)くなったと思うほど浮腫(ムク)んだので、退院した日まで楽に履いていた靴が、靴ベラを使っても履けないほど浮腫みが酷くなったのです。


『予防に勝る治療なし』は、『人類究極の願い』です。
『両手の当て方次第』で全身の筋肉を柔らかに出来る、
「シン・テアテ・セイタイ」を決め手とした、
『総合・健・幸・美・療法』は『予防療法』に最適です。


ところで、前述のとおり私が両脚の浮腫みには困りましたが、平成28年1月1日から自宅でその後遺症を、私に授かった「シン・テアテ・セイタイ」療法を使い、自分の体を実験台にして、自分で約80%まで健幸回復させることが出来たのです。
しかしながら、その後遺症を直すのに平成30年まで約3年も掛かりましたが、全身の筋肉を柔らかにする「臨床研究」に打ち込んだお陰で、両脚の浮腫みを直す「両手の当て方」については、一応納得できる「数種類の手技」を編出(アミダ)すことが出来たのです。
正し、「シン・テアテ・セイタイ」の療法効果を出すには、従来のマッサージ等とは逆で、一旦両手を当てた位置を動かさず、 筋肉に帯電している 「静電氣(セイデンキ)」を抜(ヌ)き取るためには、一箇所に最低でも 10〜30 分・多い時は1時間位(クライ)必要で、毎日5〜8時間を掛けながら「魂(根)氣(コンキ)」強く両手を当続(アテツヅケ)け、期間的には約2〜3年かかっても仕方がないと想います。

なぜなら、独身(ドクシン)の私が腰を折り曲げながら「手当整体」を続けた裏返(ウラガエ)として、平成 30年6月初め頃から『自楽手技』だけでは直し難(ガタ)い、腰痛に見舞(ミマ)われた上に、腰が曲がり掛けて歩行も辛くなった時には、正直(ショウジキ)云って自分一人で直すことへの限界を痛感しました。
それでも、「窮(キュウ)すれば通ず」の諺どおり、うつ伏せや胡坐(アグラ)になって工夫(クフウ)すれば、「両手の当て方次第」で全身の筋肉を柔らかにする、新たな手技を増やせることが解ったのです。

その後に曲がり掛けた腰を直す「両手の当て方」を、あらゆる角度から追及(ツイキュウ)した甲斐(カイ)あって、『自楽手技(ジラクシュギ)』と「背骨(脊椎)寝返り自然矯正(シゼンキョウセイ)」を組合わせた、『総合・健 ・ 幸 ・ 美・ 療法』を活用すれば、 「自然治癒能力(シゼンチユノウリョク)」の働きを最大限引き出せるので、殆どの症状を『健幸回復』 できる確信が持てたのです。
そんな現実から、氣仙沼に整体院を開業するまでの約8年を、「臨床成果」を得るために必要な期間と考えれば、退院後の約3年は 「集大成」に必要な期間だったと想うので、 この間の「臨床研究」で得た「臨床成果」と「集大成」に、約11年も掛かった理由としては、一人相撲と同じ『自楽手技(ジラクシュギ)』が主体だからだと想います。
その意味で、これから先の「臨床研究」は『傍楽手技(ハタラクシュギ)』が主体になるので、陰陽(マイナスプラス)両者が二人で一対の組合せこそ理想の姿なので、「助けられたい人」と「助けたい人」の『一心』が、『以心電信(伝心)』の不思議な相乗効果(ソウジョウコウカ)をもたらすと想っています。
従って、『健幸回復』に要する「時間」と「期間」が大幅に短縮可能(タンシュクカノウ)となり、「シン ・ テアテ・セイタイ」の「総仕上げ」が実現すると想っています。
その療法こそが私が長年に亘(ワタ)り追い求め続けて来た、『予防療法』に最適な『世界初の療法』であると自負して居りますので、この療法が本物の『予防療法』に成り得ることをご理解戴くために、貴重な体験談を以下に記させて戴きますので、不健康や病気にならない決め手に活用して戴けたら幸いです。


「シン・テアテ・セイタイ」+「健幸・クルクル回し」の療法は、
現在の『医薬療法』と『民間療法』の限界を超えた、
人類究極の『予防療法』なのです。


上記の「シン・テアテ・セイタイ」療法は、全身の筋肉を柔らかに出来る理想の療法でも、その療法効果が出るまでは前述のとおり、一定の「時間」と「期間」を掛ける必要があるのです。
その一方で、「健幸・クルクル回し」の場合は『背骨(脊椎)救(急)所』矯正を、殆どの人が見様見真似で簡単に覚えられる手技なので、その療法の活用によって日本中で病気や不健康に悩む人々を、短期間に救うことが出来ると確信しています。

他方、「現代医学療法」では殆どの病気の原因が解からない証として、頭から「何らかの原因」でという言葉を言い逃(ノガ)れに使ってから、医師資格を後盾(ウシロダテ)にさも本当の様な医学理論を並べ立て、患者さんを煙(ケム)に巻(マ)きあしらって居ると想うのは、一億半健康体の言葉どお り「医原病」の病人が続出して、関連する社会問題が激増しているように想うからです。
更に云えば、病気の原因が不明か又は診断できた病名に対しても、その症状を治す療法として「」を与えますが、病状次第では「対処療法的」に一生服用を免(マヌガ)れないだけでなく、副作用に悩みながら結局「薬漬け(クスリズケ)」にされた挙句(アゲク)に、更に悪化した「臓器」や「諸器官」等を切取る「手術」が待つ、「現代医学」は自然に逆らった療法だと想うのです。

その「現代医学」の対極にある好例として、米国のD・Dパーマー師の「カイロプラクティック」理論では、当院のHPの「カイロプラクティック入門」のプロローグと、「サブラクセーション退化」を見れば一目瞭然(イチモクリョウゼン)で、病気の原因が「背骨のズレ歪み」にあるこ とは、明確に示された上にその「矯正技術」も確立されています。
そんな現実を物語る身近な例として、平成31年の大相撲(オオズモウ)初場所で判る様に、怪我や故障で中日を待たずに休場した関取に、「稀勢の里関」・「鶴竜関」・「栃の心関」・「御岳海関」が居りますが、「稀勢の里関」は2年間の殆どを休場したため引退に追い込まれました。

このような怪我や故障に体調不良で悩み苦しんで居る人は、何も相撲取(スモウト)りに限ったことではなく、数あるスポーツ選手にも共通して云えることは、格闘技(カクトウギ)などで体に強い衝撃(ショウゲキ)を与えたのが原因であることは明白(メイハク)なのです。
従って、前述した事実からもお分かり戴けると想いますが、私が長年の「臨床体験」の中で整体に限界を感じた理由は、高齢者はもとより若い人でも年齢に関係なく、全身の筋肉が異常に硬い人に、「時間」と「期問」を費(ツイ)やして整体をしても、殆どの患者さんが直っていないのを実感する度に、自分の実力の未熟(ミジュク)さを思い知らされて来たからです。
それと同時に、多くのスポーツ選手達を悩(ナヤ)みや苦しみから救うために、腕(ウデ)を磨(ミキ)き技術の修得(シュウトク)に励(ハゲ)んでいる「整体師(カイロプラクター)」や、「民間療法家」が雨後(ウゴ)の筍(タケノコ)のように増えているにも拘(カカワ)らず、逆(ギャク)に新たな病名が続出する厳(キビ)しい現実を考えると、異常に硬くなった筋肉を柔らかにしない限り、「健幸回復」は望(ノゾ)めないことを物語(モノガタ)っているように想いました。
そんな心苦(ココログル)しい思いを忘(ワス)れず整体に励(ハゲ)んだ甲斐あって、『本物見極人(ホンモノミキワメニン)』の「船井会長」に『本物療法』と認めて戴いた上に、港区芝公園の自社ビルに整体院を開設して戴いたお陰で、「船井会長」のお膝元(ヒザモト)で「お抱え整体師」になれたのです。
この不思議なご縁は、私にとって身に余(アマ)る光栄(コウエイ)であると共に、この日本には政治の圧力で陽(ヒ)の目を見ない、「本物技術」や「本物療法」と「本物情報」が沢山(タクサン)有(ア)ることを、「船井会長」の「著書(チョショ)」や「講演」の他に、「カセット情報」等で知ることが出来ました。


☆長年の望みが叶った『予防療法』は『癌予防』にも最適だと想います。


前述のとおり、「船井会長」に見込まれ「東京」と「仙台」の整体院を、掛持(カケモ)ち診療(シンリョウ)をしながら「船井会長」の異常に硬い筋肉を、柔らかにしない限りお互いに満足できないと考えて、真剣(シンケン)に取組んだのが2002年に「東京」進出をした時からです。
そこで、「船井会長」との出会いで戴いたご縁のお陰で、私にとって付き合う人と住む環境(カンキョウ)が変わったことから、物の考え方や見方に大きな違いが出たようで、「超一流の経営コンサルタント」である、「船井会長」の影響力で私の運命が開けたと想っています。

特に、「氣功(キコウ)」に深い関心を持ち続けて修得した、「船井会長」の指導を受けたからだと想いますが、2003年頃のある日、自分も「氣功」が出来るような感じがしたので、実際に試したら人を前後左右(ゼンゴサユウ)に動かせたのに驚(オドロ)きながらも、前述したとおり『ひな祭り』とい うお芽出たい日に、『玉王(ギョクオウ)の手当』と『王(オウ)の手当』を閃いたことからも云えると想います。
そこには、全身の筋肉を柔らかにしたい一心が、『』に通じたからだと想っています。

さてそこで、特筆(トクヒツ)すべきこととして、私が自分の体を実験台にして全身の筋肉を柔らかにする毎に、小顔小頭(コガオコアタマ)になるに連れて顔の凹凸も少なくなり、肌(ハダ)の感触(カンショク)も柔らかさを増し滑らかになった証として、鏡に写った自分の顔を見ると色艶(イロツヤ)が良くなっていたのです。
それに加えて少なからず若返(ワカガエ)って居る人相を見た時、人間の体の仕組みとして硬くなっている筋肉を柔らげると、血管が正常な太さに蘇ると血の流れが増すことが判りました。
それは何も、体の表面の筋肉の硬さに限ったことではなく、内面の「臓器」や「諸器官」までが硬くなっている証として、病名の「文字」や「言葉」からも明らかだと想います。

それは、以下の例からも判るように、「肝硬変」・「動脈硬化」・「心筋梗塞」・「脳梗塞」・等の病名の文字が示すとおり、「(コウ)」とは「」に「」になるという意味であり、「(コウ)」とは「」に「」になるという意味だと想います。
つまり、その「文字」が示す「(コウ)」と「(コウ)」の病名の臓器が意味するところは、共に「」や「」のように「カタク」なっていると解釈すれば、その症状自体が既に「」になっているか、又は「」の予備軍の状態になっているとも受取れると想います。
そこで、『予防に勝る治療なし』の格言(カクゲン)は未(イマ)だに理想の域(イキ)を出ていないのは、平成30年10月1日に「ノーベル医学・生理学賞」に輝(カガタ)いた、免疫(メンエキ)を抑(オサ)える働きを持つ分子を発見し、新たな『癌治療』の礎(イシズエ)を築(キズ)いた「本庶 祐」京都大学特別教授の、「オブジーボ」でも2〜3割程度しか効(キ)かないとも云われ萬能薬(バンノウヤク)ではないようです。

更に、「癌治療」の“夢の薬”だと騒がれているようでも、予期せぬ副作用も報告されていると同時に、高額薬価が見直されたとはいえ1年間使った場合、開発当初は約3,500万円もしたのが、「高額療養費制度」を適用しても一瓶(ヒトビン)100mgで17万4,000なのです。
ところが、100万円かかった場合は保険割引で87,430円になっても、一般大衆には年間 48瓶で約400万円も使うのでは、高値の「(ハナ)」でしかないと想いますが如何でしょうか?
ましてや、2012年に全てに変化できる萬能(バンノウ)なiPS細胞(サイボウ)を発見した、「山中伸弥(ヤマナカシンヤ)」京大iPS細胞研究所長のように、ノーベル賞を受賞して世間(セケン)から期待されながらも、8年経っても未だに実用化実験が少ない現実を考えると、「山中伸弥(ヤマナカシンヤ)」所長の心境は穏やかでないと想うと同時に、萬能細胞にも期待に応えられない症状が沢山あるようです。

それは、私達一般大衆の悩みの種になっている、『頭痛』・『肩凝り』・『腰痛』・『膝痛』等は治せないということですが、「本庶 祐」教授の「オブジーボ」も同じようです。
以上のことから『』に対する私の仮説として、人体は血流(ケツリュウ)が正常になれば『心臓癌』や、『脾臓癌(ヒゾウガン)』の病名は殆ど聞かない事実から、血液が多量に出入りする臓器では、「自然治癒能力」が最大限発揮されて、赤血球(セッケッキュウ)が「癌細胞」を撃退(ゲキタイ)するからだと想います。
そこで、二人に一人が『』になる時代を迎(ムカ)えた今、『両手の当て方次第』で全身の筋肉を柔らかにして、全ての血管を正常な太さに蘇(ヨミガ)らせて血の巡(メグ)りを良くする、「シン・テアテ・セイタイ」は無痛で有効無害であり、労力(ロウリョク)だけで自然の『』に適(カナ)った療法なので、『癌予防』にも最適な療法に成り得ると確信しています。

因みに、その「シン・テアテ・セイタイ」の『両手の当て方』ですが、近々(チカヂカ)このHP上に各部位毎(カクブイゴト)の動画(ドウガ)を載(ノ)せて、無料で誰もが見様見真似(ミヨウミマネ)で覚(オボ)えられるようにする準備中です。
従って、この「シン・テアテ・セイタイ」療法を活用して戴けたら、「いつでも・どこでも」・「頭痛」・「肩凝り」・「腰痛」等は、その場で5〜10分で常識を超(コ)えた即効性(ソッコウセイ)があるので楽になり、通院時間や医療費の負担を免(マヌガ)れ家計も国家も助かり、様々な社会問題を解決する具体策に成り得ると想っています。
正(タダ)し、「シン・テアテ・セイタイ」と「健幸クルクル回し」の手技には、即効性があっても持続性(ジゾクセイ)に乏(トボ)しいので、その場凌(シノ)ぎの「応急手当」や「対処療法」には好(ヨ)くても、本当に健幸になりたいと想う人には、『予防療法』に最適な『総合・健・幸・美・療法』を採(ト)り入れて戴き、心身の健幸を早急に実現する必要があると想っています。
そこで、本氣になって「自然治癒能力」の働きを最大限引き出すためには、人間が人生の3/1もなぜ眠(ネム)るのかという、殆どの人が考えない謎(ナゾ)を解いて戴ければ判ると想います。

その答えは、一日の疲れを取り明日の体力を蓄えるためには、体を仰向(アオム)けにして目蓋(マブタ)を閉じることによって、筋肉を関節が抜(ヌ)けない程度の柔らかさに保てると同時に、「背骨の寝返り自然矯正」の促進(ソクシン)ができるので、それまで体を使って「ズレ歪んで」いた背骨が、生理的(正常な)湾曲(ワンキョク)を取り戻せる仕組みになっているからなのです。
それで、背骨の中に納(オサ)まっている『脳・脊髄紳経(ノウセキズイシンケイ)』の妨害(ボウガイ)が取り除(ノゾ)かれれば、遺伝子(イデンシ)からの命令が脳に伝わり、脳は人体の細胞で自家発電(ジカハツデン)した電氣(静電気)を使って、身体中に張り巡らされた「各神経網(カクシンケイモウ)」に指令を送り、私達が自分の体を想い通に使えるように、常に体が自(ミズカ)ら「自然治癒能力」を発揮して、体を整備するように仕組まれているからです。

従って、運動選手に限らず頭脳労働(ズノウロウドウ)をする人等、誰でも仕事をして体力を消耗して体重が減っても、腹一杯食べて充分な睡眠(平均8時間)を摂(ト)れば体重が戻って、又働けるようになっているので安心して暮せるのだと想います。
その一方で、風邪(カゼ)を引いたり体調不良になった時でも、敢(ア)えて薬や病院を頼(タヨ)らなくても、口に合う滋養物(ジョウモノ)を食べて1〜3日も寝て汗を取れば、健幸を回復することは「病人は寝せておけば治る」と云った、医聖「ヒポクラテス」師が、睡眠中の寝返り効果を重要視(ジュウヨウシ)していた証だと想いますから、この理論を理解して一日も早く実行する必要があると想います。

そこで問題になる寝室環境の万全を期すには、最も大切な一生寝る寝具に最適なのが、「(株)日本直販総本社」の「ヘルスウェーブゴールド」で、本体価格+付属品一式で148,600円と、寒さ対策には「(株)アイエフ」の体内に刺激を与え足元(アシモト)まで暖める、遠赤外線暖房器(エンセキガイエンダンボウキ) 「サンラメラ」が最適(サイテキ)で、本体価格は134,400円です。(両商品の総合計は283,000円です)。
上記の両商品は共に消費税と送料は自己負担ですが、私が「要介護4」から日常生活に困らない程、健幸回復できたのは約40年前から愛用して来た、「寝具」や「暖房器」と縁を結んだお蔭なので、無理のない長期分割払いも可能ですから、皆さんもご自分の体が資本であることをご理解の上、当院の会員さんの「体験談」を読んで戴けたら幸いです。

以上  



退院証明書


診療情報提供書


介護保険 要介護認定・要介護認定結果通知書


★ 青文字の体験者の方たちは、『 シン・テアテ・セイタイ(別名・トップ・リラクオール) 』の
開発段階であった 『 総合健幸美療法 』(3年前は「総合整体療法」という療法でした)の、
体験者です。


下記の氏名は全員仮名です。
花田 理香 (女性 30歳 会社員)
佐々木 フサ (女性 87歳 無職)
河合 八重子 (女性 80歳 無職)
秋田 和雄 (39歳 男性 農業)
加藤 辰夫 (男性 60歳 無職)
和田 郁恵 (女性 25歳 アルバイト)
川村 早苗 (女性 18歳 学生)
安田 美奈子 (51歳 女性 生命保険会社嘱託医)
畑中 光子 (52歳 美容専門学校教員)
真庭 優一 (男性 25歳 学生)
内田 徹 (48歳 男性 システムコンサルタント)
栗田 真希 (37歳 女性 精神科医)
泉 正人 (31歳 男性 アルバイト)
★ 高森 由里 (57歳 女性 主婦)
★ 大井 旭 (26歳 男性 自営業)
★ 安藤 真寿美 (27歳 女性 OL)
★ 内田 徹 (51歳 男性 システムコンサルタント)
★ 林 仲雄 (30歳 男性 農業)
★ 中山 圭奈 (38歳 女性 看護師)
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